« 【映画】グリーン・ゾーン | トップページ | ノベルゲーム作ってみました。 »

【映画】ダイアリー・オブ・ザ・デッド

Gyaoにて。
やっぱりロメロはいいっすよ~heart04

今や情報を伝えるのはブロガーやハッカーや子供
ネットワークが崩壊した今
情報源は一般人となり
嘘の数も増加
情報とともにますます主観が増え
真実はさらに見えなくなる
残るのは騒々しさばかり

これは作中の女性主人公のモノローグですが、この作品は2008年の作品ということもあり、昨今の既存メディアへの不信と、それに相乗するように増大していくネットワーク経由の情報については考えさせられます。
内容としては、フィクションという体裁をとったノンフィクション(フェイク・フィクション)で、ゾンビの爆発的な増加に翻弄される一般人という、既存の作品とほとんど変わらないストーリーだと思われます。
その王道のパターンに何を入れ込んでいくかというところが、時代時代で違うので、そこのあたりも考えて過去の作品も見てみると面白いのではないかと思います。
ちなみにこの「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」、作中のニュースの音声にスティーブン・キングやタランティーノも参加しているようです。私はわかりませんでしたが……。

ゾンビ映画というのは、一種のパニック映画なんだと私は思います。
パニック映画は群像劇であることも多く、そういうところも個人的には魅力です。
いざというときにどんな人間がどのように振る舞うのか――最初から最後まで立派な人もいれば、最初から尊敬できないまま死ぬときまでみっともなく迷惑なのもいる。高潔の士だと思っていたら土壇場でお粗末な性根が晒されたり、ダメなヤツだと思っていたら見事な最期を見せてくれたり。
自分だったらどうなんだろうと、いつも考えながら見ています。
でも、パニック映画というのは、基本的に「人類に対してのNO」を肯定してるわけじゃないんですよね。批判しつつも、救いもあると、そういう姿勢が必ずある。
それはパニック映画に限らず、いろんな物語は大抵そうだし、小説であれ映画であれマンガであれアニメであれ、制作者はそうであるべきじゃないでしょうか。

で、ゾンビ映画=パニック映画説ですが、ゾンビ化も咬傷による感染ぽいですし、これをウイルスに置き換えたら、「アウトブレイク」とそこまで変わらないじゃないですか。
しかし、そういう作品と決定的に違うのは、ウイルス・パニック映画が大抵はなんとか治療法を発見し、事態が収束を迎える明るい結末が多いのに対して、ゾンビ映画のほうは、被害は増大する一方で、悲劇的な結末しかあり得ないことです。
それは、死んでいるが故に完治はありえないから、でしょう。

「ナイト・オブ・リビングデッド」でゾンビ映画監督として一躍有名になったジョージ・A・ロメロ監督ですが、実はこのゾンビはSF作家リチャード・マシスンの「地球最後の男」の1シーンにイメージを借りたものだったらしいのです。
つまり、ゾンビ映画(リアルでのゾンビは完全別ものですが)の原点はSFにあり!
シチュエーションみると、まさにゾンビ映画そのものですね。こちらは吸血鬼ネタらしいのですが、吸血鬼に噛まれると吸血鬼化する現象をウイルス原因と仮定した物語らいしです。
ここで一般的な吸血鬼とゾンビ映画におけるゾンビを比較してみると、吸血鬼は弱点が多いので、なかなか増えにくい。しかし、ゾンビの場合は、脳味噌ほぼ停止状態なので頭は悪いのと、動きが鈍いことを覗けば弱点はありません。弱点といっても弱点らしい弱点でもありませんし、いわば最凶です。
これではゾンビ映画にハッピーエンドなど訪れるわけがない。勝てるわけがないのだから。
だからといって、弱点のあるゾンビを退治して、人類が復興するというのも、なんだか無理がある気がします。

やっぱりゾンビ映画はこういうオチしかないのかしら?



|

« 【映画】グリーン・ゾーン | トップページ | ノベルゲーム作ってみました。 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/521285/48733469

この記事へのトラックバック一覧です: 【映画】ダイアリー・オブ・ザ・デッド:

« 【映画】グリーン・ゾーン | トップページ | ノベルゲーム作ってみました。 »